大判例

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東京高等裁判所 昭和55年(ネ)1960号 判決

控訴人

今野満男

控訴人

吉野恒吉

控訴人

共栄運輸株式会社

右代表者

平井譲二

右三名訴訟代理人

浜名儀一

土佐康夫

被控訴人

勝畑正男

被控訴人

勝畑喜美子

(改名前の名きみ)

右両名訴訟代理人

日暮覚

主文

本件控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

〈前略〉

当事者双方の事実上の主張及び証拠の関係は、次のとおり付加、訂正するほか、原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する。

(控訴人らの主張)

1  原判決四枚目表三行目、四行目の「原告会社」から「支払つた。」までの記載を「控訴人らはその全額を支払つた。」と改める。

2(一)  本件事故の発生した道路は、千葉、館山間を結ぶ唯一の幹線道路であり、自動車の交通は極めて頻繁であるのに、車道の幅員は6.6メートルと狭く、人家が密集しているので自動車の回避余地は極めて限定されている。そして、右道路の歩車道は区別されているが、歩道と車道との間には段差がなく、平坦であつた。また、右歩道では、通行人が歩行する以外、遊ぶ児童等は殆んどいないのが常であつた。

(二)  右のような道路状況の下で、被控訴人らの子元宏(当時五才)は、車道から約2.5メートル離れた島屋商店前の空地から三輪車に乗つて急な坂を直角に下つてきた。控訴人今野は同商店の手前約一五、六メートルのところに差しかかつたとき、右の状況を視認したものである。したがつて、同控訴人が仮に制限速度の時速四〇キロメートル(秒速11.11メートル)で走行したとしても、発見地点からわずか1.35秒で元宏のいた地点にまで到達してしまうのであるから、直ちに急制動をかけても、停止するまでに約17.7メートル進行することになつてしまう。したがつて、同控訴人が元宏との衝突の危険を回避するには右に転把する以外の措置をとりえなかつたのである。

(三)  ところで、道路交通法一四条三項は、「児童(六才以上一三才未満の者をいう。以下、同じ)若しくは幼児(六才未満の者をいう。以下、同じ。)を保護する責任のある者は、交通のひんぱんな道路又は踏切若しくはその附近の道路において、児童若しくは幼児に遊戯をさせ、又は自ら若しくはこれに代わる監護者が付き添わないで幼児を歩行させてはならない。」と定めているのであるから、幼児を保護する責任のある者は交通の頻繁な道路等において幼児に危険がないように注意することは勿論のこと、幼児が他の事故の原因となるような危険な行動をとらないよう注意すべき義務がある。

(四)  これを本件についてみると、幼児である元宏を保護する責任のある被控訴人らは、元宏が道路で遊戯をしたり、付添もなく歩行させてはならないだけではなく道路への飛び出しや自動車運転者の運転を誤らせるような道路直近での遊戯や他事故の原因となるような危険な行動をとらせないようにすべき注意義務があつたのにこれを怠り、被控訴人喜美子は、前記のとおり車道に背を向けて立ち話をし、元宏の動静を看過した過失により三輪車に乗つた同人をして島屋商店前の急な坂を車道に向つて直角に下り走らせ、車道にまで進出せしめ、控訴人今野の運転を誤らせたものである。仮に、車道まで三輪車が進出しなかつたとしても、元宏が急な坂を道路に向つて直角に下つてくること自体、自動車運転者の運転を誤らせる危険な行為であるから、かような行為を放置した被控訴人らの過失は免れえない。

(被控訴人らの主張)

1  控訴人ら主張の1の事実は知らない。

2(一)  控訴人ら主張の2の(二)の事実は争う。

島屋商店の前の空地は急な坂ではなく、ゆるやかな傾斜になつている。元宏は右空地を道路に向つて斜めに、普通の人が歩く位の速度(時速約四キロメートル)で三輪車を約三メートル進行させたものであり、その間右移動に要した時間は約2.7秒と考えられる。

これに対し、控訴人今野は右島屋商店の約七〇メートル手前で元宏が三輪車に乗つて道路に出てきそうな姿勢であつたことを視認していたというのであるから、もし同控訴人が制限速度時速四〇キロメートルの速度で進行していた場合はもとより、時速五〇キロメートルでも同商店の手前で十分停止しえたものである。

仮に、控訴人ら主張のように、控訴人今野が同商店の約一五メートル手前で元宏を発見したとしても、それは同控訴人が制限時速四〇キロメートルを超える時速五〇キロメートルで前方を注視しないまま進行していたため歩道と空地の境で待ち受けていた被控訴人喜美子の存在を見落し、直近になつて元宏の存在に気づき、かつ元宏が乗つた三輪車の進行速度を過大に認識する誤りをおかしたうえで、ブレーキを踏むこともなくハンドルを右に転把し対向車線に飛び出したという同控訴人の重大な過失により本件事件が発生したものである。

(二)  道路交通法一四条三項の規定は、その立法趣旨に徴すると、幼児等を交通の危険から保護するためのものであり、幼児等の保護責任者が車道を通行する自動車に対して注意義務を負うものと解すべきではない。

(三)  本件において、被控訴人喜美子は、買物を済ませ元宏より先に島屋商店の前の空地と歩道の境まで出て、同人が道路に出ないように注意し、また歩道から出そうなときは即時これを止めうる態勢をとり、現にこれを止め得たのであるから、被控訴人らに監督義務違反はない。

(証拠の関係)〈省略〉

理由

一昭和四八年四月二一日午後二時三〇分頃、千葉県君津郡袖ケ浦町坂戸市場一、二〇九番地先道路において、控訴人今野の運転する大型貨物自動車(以下、加害車という。)が通行人の長島孝子と衝突する交通事故が発生したことは、当事者間に争いがない。

二控訴人らは、被控訴人喜美子が車道に背を向けて立ち話をし、その子元宏(当時五才)の動静を看過した過失により、三輪車に乗つた元宏をして島屋商店前の急な坂を車道に向つて走らせ、車道もしくはその直近にまで進出せしめ、同所に差しかかつた加害車の運転手控訴人今野の運転を誤らせたと主張する。

そこで、まず、本件交通事故発生の状況について検討する。〈証拠〉を綜合すれば、次の事実が認められる。

1  本件事故現場付近の道路は市原市から木更津市方面に至る片側一車線(道路幅各3.3メートル)の幹線道路であり、両側にそれぞれ幅一メートルの歩道が設けられている右道路は、法定速度時速四〇キロメートル、追越禁止の表示のなされている区域である。そして、自動車の交通量は多いが、人通りは少ない。道路は直線平坦で見通しはよいが、道路の両側には人家が立ち並んでいる。

2  控訴人今野は本件事故当時法定速度を一〇キロメートルを超える時速約五〇キロメートルの速度で、加害車を運転して市原市方面から木更津市方面に進行し事故現場付近にさしかかつた。そして、進行方向左側にある島屋商店の手前約七〇メートル位のところで、同店の前にある空地(同空地は、同店の入口から道路の歩道まで約四メートルの距離がある。)に被控訴人喜美子と元宏の姿を視認したが、元宏が道路の方には動かないものと思つて、そのままの速度で接近したところ、同店の手前約一五メートル付近に差しかかつた時に元宏が道路に向つて三輪車を走らせてくるのを発見した。同控訴人は元宏が道路に向つて飛び出してきたものと判断し、咄嗟にこれを避けようとして、あわててブレーキも踏まず、また減速もしないまま右に転把して道路中央に加害車を進めたところ、反対車線上に約一六メートル先から対向車がくるのを視認したので、衝突を避けようとして左に転把したため、加害車は道路左端の縁石を乗り越えて歩道に乗り上げ、折から歩道上を対面歩行してきた長島孝子に加害車の前部を衝突させて同女に重傷を負わせた。

3  ところで、被控訴人喜美子は右事故発生の少し前に、前記島屋商店に元宏を伴つて買物にいき、買物を終えて、前記空地の歩道に近いところまできて、元宏が三輪車に乗つてくるのを待ち受けていた。元宏は右空地の同店の入口に近いところに置いてあつた三輪車に乗つて同被控訴人の方にやや斜めに人の歩くよりやや速い速度で走り出した。ところで、右空地のうち、歩道に近い一メートル二〇センチメートル位の箇所がゆるい傾斜になつているため、三輪車は空地内では止まらなかつた。そこで、同被控訴人は元宏の左肩を押えて歩道の中程で三輪車を止まらせた。なお、同被控訴人は店を出てから、道路に背を向けて立ち話などはしていなかつた。

以上のように認められ、前掲証拠中、右認定に反する部分は措信できず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

判旨右認定の事実によれば、加害車が島屋商店の手前約一五メートル付近に進行してきたとき、元宏が三輪車に乗つて島屋商店前の空地を走り出していたが、その速度は決して速いものではなく、被控訴人喜美子が待ち受けて車道に出ないよう配慮していたものであり、また元宏の乗つた三輪車は歩道の中程で止まつて車道には出なかつたものであるから、客観的には車道への飛び出しの危険はなかつたと考えられるのである。しかるに、控訴人今野が加害車の運転を誤つて本件事故を発生させたのは、同控訴人が大型貨物自動車をスピードを出したまま運転し、かつ右認定の状況を的確に認識しなかつたため、飛び出しの危険がないのに元宏が三輪車を走らせて車道に飛び出してくるものと錯覚し、かつ前記のような無理な回避行動をとつたことによるものと認められる。

したがつて、右認定に反する控訴人らの前記主張は採用し難い。

三控訴人らは、右認定と異なる事実を前提として、時速四〇キロメートルの速度であつても、控訴人今野には右に転把する以外の措置はとりえなかつたと主張するが、同控訴人は、前記のとおり、三輪車に乗つていた幼児を約七〇メートル手前で発見しているのであるから、その動静に注意して、減速すべきであるのに、法定速度を超える速度で走り抜けようとしたものであるから、すでにこの点において右控訴人の主張は採用の限りでない。

また、控訴人らは、道路交通法一四条三項の規定を挙げて、被控訴人らが元宏を道路またはその付近で遊ばせ自動車運転者の運転を誤らせ、あるいは事故の原因となるような危険の行動をさせたと主張するが、前記のとおり、被控訴人喜美子は車道に背を向けて立ち話をしていたわけではなく、元宏が車道に出ないよう、その安全に配慮していたものであり、また元宏の前記認定の行動が通常の注意を払つて走行している自動車運転者の運転を誤らせる程度に危険なものであるとまでは認め難いから、被控訴人らに控訴人ら主張の義務違反があるとはいえないというべきである。

四しからば、本件事故が被控訴人らの過失により発生したとの控訴人らの主張は理由がないから、控訴人らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく失当というべきである。

よつて、原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法第九五条、第八九条、第九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(渡辺忠之 糟谷忠男 渡辺剛男)

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